皆生温泉は1900年に海から涌き出る湯を漁師が発見したのがはじまりと言われております。
全国の温泉の中でも海に湯が湧く温泉は珍しく、当時から湯治場として人気を集めておりました。
松月が皆生温泉に旅館としての営業をはじめたのは昭和2年(1927年)12月、米子市制が施行された同じ年に鹿児島県出身の初代女将福元ヤス(1903-1982)により木造二階建ての純和風料理旅館として創業いたしました。
創業当時は昭和4年に始まる世界的な大不況の時代で、多くの旅館が廃業、芸者も半減する大変な時代でした。当館は目の前が浜辺である立地と日本海の新鮮な海鮮料理がお客様に好まれておなじみ様が次第に増え、皆さまに支えられて続いて参りました。
松月は目の前が海ということで「眺望第一 内湯旅館」と銘打ち、松越しに月を眺めながら潮騒をきく風雅な宿でした。しかし、目の前の海岸は侵蝕という危険もはらんでいました。以前より盛んに行われていたたたら製鉄が大正年間に終わりを告げ、日野川よりの土砂の流出がとまったため、昭和7年ごろより海岸が侵蝕されてきました。昭和10年には一号源泉が水没。昭和13年には薬師堂が波浪により倒壊。松月も軒の下まで海が洗う時もあり、建物の流出の危機がたびたび繰り返されていました。戦前は侵蝕に対して自然のなすがままでした。